ストイック太郎の人間真理を研究するブログ

ストイック太郎が自身の生活を通し人間の根源的真理を研究するブログです

監視する人間がいる事の重要性

このブログの読者の方は自分1人で色々なことを研究・探求し突き詰めて考えるのが好きな人が多いだろう。筆者ももちろんそうだ。何か新しい習慣などを見つけ色々独学で掘り下げることはとても楽しいし、それで何かしらの効果が実感できればより面白くなる。本当はジムも1人で行くのが好きだ。人のペースに合わせたくはない。しかし最近なぜスポーツ選手は必ずトレーナーをつけているのか深く理解できるのだ。プロの選手などでは食事や運動、メンタルヘルスなどにそれぞれ違うコーチをつけている人も沢山いる。

筆者は専属トレーナーをつけて月に数回筋トレのパーソナルトレーニングを受けているのだが、その時にいつも実感することがある。それは

・自分は思ったより自分が思うような動きが出来ていない

・自分を他人に見てもらい評価してもらう以上の客観視は存在しない

ということである。

これは何も筋力トレーニングに限らないと思うのである。それは何かしら自分を向上させるような習慣を取り入れたのはいいが、やり過ぎたりして「変」になっているときなどにも当てはまる。変とは「物事が正常な状態から乖離している状態」とともいえる。これはどんどん自分であらゆる習慣を取り入れ、他人にコミットするような時間が無くなってきたり、コミュニティーに属する事が億劫になったりして孤独になっている時に陥りやすい。

仲の良い友達や家族に「お前最近なんか変だぞ」と言われたりするのはとても大事だということだ。自分がよかれと思ってやっている事が毒に転じている瞬間だ。自分で自分を監視というか俯瞰する方法は「日記をつける」ことが一番有効のように思うが、それでも他人に見てもらい何か一言いってもらう事には敵わない気がする。

1人が好きな筆者にはトレーナーをつけて定期的に評価してもらうこと自体に時々軽くめんどくささを感じるのだが、基盤理論の階層Sである「食事・運動」の二大巨頭を見てもらっていることになる。金銭的に問題なければ一生継続するくらいやる価値がありそうだ

今日はこの辺で