ストイック太郎の人間真理を研究するブログ

ストイック太郎が自身の生活を通し人間の根源的真理を研究するブログです

雑感、幸福感のある一日

先日帰路についてる途中にふと考えが浮かんだのですが何にせよ前提として「自分は今果たして幸福か?」というのがあるよなあと思いました。幸福感をどこに感じるかというのは人によって千差万別で仕事を終え家で冷えたビールとつまみを楽しむことが「生きている実感がする」と感じる人もいるかも知れませんし、徹底的に食事や日々の行動を律して運動をして体を作り上げることに進化する喜びを見出す人もいるでしょう。

昔は何か自分を律する習慣を始めると自分が何か特別な人間になったように錯覚し、それが出来ない人を見下したり、疑問を持ったりしましたが今現在筆者はその境地にはありません。単純に過去の時代において自分は無知だっただけなのかなという表現が近いように思います。その人その人に置かれた人生の状況は外側からでは判断することが出来ず、非常に複雑な事情が長い時間をかけてその人の身体に練り込まれております。

ヤング島耕作という漫画のあるページに無理に無理を重ねて東大に合格したものの中退する友人の描写が書かれておりました。

「東大を辞めることは親には言ったのか?」

「言ってどうする、反対されるだけだ。人生は楽しむためにあるんだ。世間的に評価されるようなところにいても自分が望まない場所にいることは一生不幸だ」

こんな風なやりとりがありました。昔漫画喫茶でこのシーンを見た時何かこうぐっとくるものを筆者は感じたものです。例えそれが社会のレールから脱線するような事であっても、何かを通してこういう自分の考えがシンプルに出るというのは素敵だなと思いました。

ある本で「悟り」の境地を得るためには寺での修行のような事ばかりしていても辿りつくようなものではなく、色々経験して気づくことが大事だという文章がありました。悟りとはなんでしょうか。中庸のさらに先にあるものでしょうか。その答えはなかなか辿りつくのは大変だと思いますが、こういう混沌とした日々の中にあるような気がするのです。

今日はこの辺で