ストイック太郎の人間真理を研究するブログ

ストイック太郎が自身の生活を通し人間の根源的真理を研究するブログです

何かを犠牲にして何かを得る。何かを得るためには代償が必要

犠牲とか代償とか少し物々しい表現になりますが結局そういうことなんだなと最近実感しました。何か代償を払わずして得られるものなどこの世に1つもないということです。

もちろんぼったくりみたいなものもありますが、投資の詐欺みたいな事にあったとしてもそこから人は知見を得ます。昔は特に努力しなくても長い時間活動出来たのに...みたいなことも、その時は「若さ」という貴重な資源を大量に投下していたに過ぎません。年とって、何かを手に入れるために別の資源が必要になったというだけです。筆者のスポーツトレーナーがアメリカでは結局体つくりは「どれだけ自分にお金をかけたかってことです。」と言っておりましたが非常に合理的な表現だなと感心しました。コスパとかいう表現がよく若者の間で使われますが、本人がお金をかけずに手に入れることができたと一喜一憂しているだけで実際はすごい手間と時間をかけていたりということは多いです。結局、時間・お金・エネルギーこれの配分量が変わったに過ぎません。筋トレや食事管理をしているとそのようなことが非常に鮮明になります。

また意識やモチベーションの話しをしますと、他人のお金でやるより自分の身銭を切って経験した内容はしっかりと自分の深層意識に刻み込まれます。やっている時の意欲も違いますし、記憶にも残りやすいです。途中でやめてしまうと投資したもとが取れないため、自分でなんとかゴールまで辿りつけるように試行錯誤します。何か代償を払うというのは自分の経験を増やす手段を得るということでもあるのです。

この辺を自分でよく考えてみると面白いかも知れませんね