ストイック太郎の人間真理を研究するブログ

ストイック太郎が自身の生活を通し人間の根源的真理を研究するブログです

近況、進化的合理性と論理的合理性

畜精11日目 またここか - ストイック太郎の人間真理を研究するブログ

皆様お久しぶりです。筆者は元気です。洞窟であるとか南の島であるとか、そういう表現をこのブログで繰り返し使ってきましたがそれに近い思考を橘玲のある著書から拾い上げましたで思考をまとめたいと思います。

我々人間が持つ資源(体力、エネルギー、時間)は有限です。そして何かを得るためには資源を投下しなくてはなりません。この資源には制約があるので、好ましい結果の全ては実現できないと言えることができるかと思います。つまりトレードオフだということです。

この資源の意志決定において、筆者が修行のための洞窟といっていたものは「長期的な最適化」つまり、論理的な合理性です。そして、南の島は「短期的な最適化」つまり、進化的合理性と言えるかと思います。

筆者が過去に行っていた基盤理論を回して日々を送ることは「合理的な選択」、様々な認知の歪みに惑わされることなく(進化的合理性を排除して)論理的合理性を一貫させる行為だったと言えます。

様々な実体験から筆者はこれに気づいており、幸福感は進化的合理性の中からしか見いだせないということも感じておりました。また「短期的にも長期的にも幸福度(効用)が最大化するような資源の最適配分」を研究によって見出したかったのだと思います。しかし、これは過去に基盤がうまく回らないというように矛盾しているので簡単に実現できない、ということも過去の検証から実感しておりました。トレードオフの関係上両方を得るという考え方自体がバッティングするためです。

ただ、過去記事でも言及した通り人間は非常に複雑な生き物で論理的合理性の世界を選択したとしても年齢や慣れ(努力の限界効用の逓減)により段々と効用が実感できなくなるなどの諸問題、また心(心理的状態)によって継続が難しくなってきます。基盤理論においてこれはサビと呼んでおりました。プロなどの芸術家、スポーツ選手などの世界ではこの壁を乗り越えられる人を天才と呼ぶのかも知れません。

ある哲学者の話しでは、宇宙の進化の過程において高次の意識を獲得する行為そのものは正しい行為だが、月にエネルギーを補給する手段は人間の低次の意識から生み出されるため、月の餌への供給という観点から見れば正しくない行為であるとう表現がされています。人間の本性を全て肯定する行為が月の奴隷であること、というのは何か変な話しですよね。神は我々を試しているのでしょうか。

また人間学の探究をする必要がありそうです。