ストイック太郎の人間真理を研究するブログ

ストイック太郎が自身の生活を通し人間の根源的真理を研究するブログです

若い美人な女性と房中術を実践したい

過激なタイトルだが全男性の本懐である。

 

段々飛んだブログになってきたが、ブログはいい。アウトプットの鍛錬にもなるし、思考のまとめにもなる。上品にいくつもりはない、どんどん吐き出していこう。

さて、禁欲を土台とした行も本人が舞い上がっているだけで周りから見たら所詮なんぞや?といった感じである。

イチローじゃないけど努力とか感じているうちは他人との差なんてちっぽけなものなのである。大衆と変わらんということになる。厳しい世界だ。

思考習慣が変わるのが大体六か月くらいだとかネット記事で読んだことがあるがやっぱそれ位かかりそうだ。最近になってやっと色んなもんが総合的に習慣化されてきた。

自分は自慰行為自体はやめて8年位になるので、これはもう完全に日々の習慣から消えている。ポルノに関してはもう見たいと思わないが、非常に手強かった記憶がある。このスマホ社会で若い人なんかはなかなかやめられないだろう。スティーブジョブスも自分の子供達にはスマホを推奨していなかったらしい。麻薬は自分でやるもんじゃなくて、人に売るもんだとはよくいったものだ。

もうこれからは個人の意志力の時代になった。善悪とかいっているのは詭弁だ。

弱肉強食だ。強い奴が勝つ、弱いから食われる。ただそれだけだ。

他人は自分の事で精一杯、誰も助けてなんかくれない。

人生で重要なのは心身の健康、金、女。他には愛と仲間だ。今必要なのは女だ。女は自分を高めるために重要な存在だ。若いエネルギーのある女性と房中術の実践だ。

何かが自分の身体で起こっている、がそれが何かは分からない

風呂の入る前に自分の身体を鏡で見る。自分で言うのもあれだが引き締まったバランスの良い肉体、光のある目。何かが自分の身体で起こっている。

勿論、日々のルーチンで皆が取り組んでいるような事はマイペースに取り組んでいる。

でもそれだけじゃない。

今までとは確実に違う変化だ。進化していると言っていい。肉体的にも精神的にも。

少しずつだが確実に何かが起こっているのだ。いわゆる霊的進化なのか、なんなのかそれは今の自分では正確には分からない。確実に何かが自分の中で変わっているのだ....。

 

虚無、無感情

もう何日目だか忘れた。カウントはしていない。

ただ日々を大過なく過ごしている、どなたかが書いているブログに禁欲を続けていくと

「孤独願望が強くなる」と書いてあったがこれは本当な気がする。

昔、修行していた人達も山や洞窟に1人で籠ったりして修行するわけだから自分と向き合う事と孤独はセットなのかも知れない。

極論他人という存在はどんなに頑張っても基本的にはコントロール出来ないものなので、孤独というのは最大の自由の獲得なのである意味幸せなのかも知れない。

うまくいかない事に出会えば人は必ず執着することになる。

 

外形的には、仕事も絶好調だし、休日は愛車でドライブしたり最近出来ていなかった買い物したりスパでメンテしたり充実しているようだがどっかで「つまらんな」という気持ちがぼんやりとあったりもする。つまらんなというより、虚無や無感情といったものに近いかも知れない。特に思うことはない。

俯瞰すれば順風満帆でめちゃくちゃ贅沢なのだが。

以前はつまらんな→自由気ままな放蕩生活に戻る。という感じだったのだが、まだそういう気持ちにはなっていない。今は自分が選択する事に対して、放蕩どころか善悪とかそういうラべリングを意識するつもりもなくなっている。現状は半年を一区切りとして、後は自分がどういう選択をしようが良しとして好きにやるつもりだ。

執着から解放されてきた?

以前はこんだけ辛いことやってんだから何かあるだろうみたいな事をしょっちゅう考えていた。それで特に目立った出来事がないと日数が足らないのか?とか栄養素が何か足らないのか?とか筋トレの強度が足りないに違いない!とか、とにかく何か努力することに対しての成果に執着していた。

当然イベントがなければモチベも下がる。今も時々は考えるけど、まあ現実に起きることが起きているだけだな、と達観できるようになった。これは言葉を変えれば「執着からの解放」かも知れない。何かにこだわりすぎない楽な気持ちでいることである。また一段階段を上ったのかもしれない。しかし人間というものの奥深さは果てしない。

自分を舐めてくる奴は徹底的に叩き潰すべし

以前はくだらない事を言ってくる奴とか変に絡んでくる奴はスルーしていた。相手にするだけ時間の無駄だからだ。別に面倒くさいなと思ったらスルーでもいいと思う。

だが今の考えは違う。そういう奴をのさばらせておくと長期的に見て自分の人生に置いて損だという考えになっている。なのでエネルギーが余っている時は相手が弱気になるくらい徹底的に弱い部分を突いて叩き潰す。大抵そういう奴は、相手が反論してこないだろうという憶測で絡んでくる。ところがどっこい今こっちはエネルギーに溢れている。エネルギーレベルの高いものが最後に勝つ。慈愛だなんだと言ったって、結局この世は弱肉強食だ。ピラミッドの上に富が集中するシステムは昔も今も変わらない。自然界なんか特にそうだ。根本にある意味「弱いから」うまくいかないんだと言う考えを大事にしたほうがいい。自分を強くするために出来る事には投資しまくろう。

禁欲150日目。別に素晴らしい人間に成りたいとかはない

日数を全然意識してなかったが、今日で150日目だ。5ヶ月か感慨深い。

なんで日数を意識していたかって、結局カウントしていかないとモチベも上がっていかないし、一歩一歩記録することが継続に必要だったからだ。大事なのはこの期間で拾い上げたものを自分の内面奥深くに結晶化させることだと思う。

 

ここまでの振り返りだが男性陣のほぼ全てが期待する異性関係の効果に関しては「ん?まさかね」というような事はちょくちょくありましたが、こんなことあるのか!って事は特になかった。

ただまあコロナ渦で母数も少ないし、数か月で大きな変化を得ようって考えがそもそも甘いような気もします。

しかし、自分個体の肉体や精神への良い変化は絶対にありました。そして、多くの方のブログやつぶやきなどの発信を読んでいなかったらここまで来ることも当然できていません。これは感謝しかない。ほとんどの方が無償で自分の知見を公開してくれているわけだから。

思うに禁欲をしてエネルギーを溜め、それを元に色々な創造行為をして人間を高めるのが本来の意義だと思うのだけど別に素晴らしい人間に成りたいとかそういう偽善的なものは自分はなかった。ただ結果的にそういう日々になってしまったというのはあると思う(笑)。

そして今自分に必要なのは細かい事を少し忘れてゆるく日々伸び伸びと暮らすことなのかなと最近考えている。あんまり内的思考ばかりしてると顔もつまってくるからね。自分の感覚が全てであり大事です。ここに改めて気づけたのは本当に良かった。

「憧れ」とは距離感のことである

禁欲ばっかの話題も息がつまりそうなので、違うエントリーを投下してみる。

アイドルにはまる知り合いの人の事が全く理解不能だったのだが、最近なんとなく分かってきた気がする。勿論人によるが完全にコンテンツとして捉えているのかと思いきや、そうでもない人が多いらしい。

握手会などに大枚をはたいてそこで少しでも距離が縮まるのではという考えがあるようなのだ。つまり距離感があるからそこに価値が生まれるのだ。

昔、ナンパを熱心にしていたころ割と界隈では有名らしい女性と繋がれた事はある。ナンパして成功してしまえばアイドルもクソもない。1人の男と女の関係だ、相手のプライベートに食い込んでいることになる。やれ事務所がどうたらとか、他のファンとの関係がどうだとかそんなの全く関係ない。

そして当然何回か会っていくうちに相手に興味もなくなってくる。1人の人間として相手がどういう感じかというのも分かってくる。そこでの距離感の開きはゼロだ。

この距離感というのは不思議なものだ、この距離感を感じているうちは何回顔を合わせても仲が良くなることはない。

この距離感をなくす方法は相手と「和む」ことなのだがこれが理屈ではうまくいかない。膨大な実践を重ねてうまく空気感を覚えていく必要がある。

自分磨きがある程度軌道にのってきたら次のフェーズは、この「人と和む練習」なのかも知れないね。

 

なぜ頭がいいのにモテない人が多いのか不思議でしょうがない

過去に何回も考えた事ではあるのだが、あるアラフォー童貞の人のブログを読んでふと思ったので書いてみる。半年間禁欲をして様々な試行錯誤をして意中の人を誘ったが普通に撃沈したそうだ。読んでて非常に分析能力も高く頭が良いのが分かる。

「頭がいいのになぜモテない」のか。非常に不思議である。頭がよくて仕事も出来る。問題解決能力も高い。しかし、恋愛では全然だめ。こういう人は多い。

「頭がいい」の定義をきちんとしないと議論にならないのだが、「頭がいい」とは色々な見方があるものの、ある程度の共通認識はあると思う。

また高学歴、高年収でもモテない人も多い。昔は三高なんて言ったがこれも一種の幻想だと思っている。厳しいがダメな人はだめなのだ。今の時代は低姿勢で、低リスク、低依存みたいな人が望まれるというがこれも実際の所曖昧だ。単なるメディアが作ったネタとしか思えない。

しかし色んな人を見てきたがまあモテないというのは根深い問題だ。

単純にコミュ力の問題では?というが男友達は大勢いるのに、対女性に対してはダメという人もいる。

自分の認識では恋愛能力というのは一種の運動神経みたいなものでその競技の能力が高いかという一点につきる。知識があるだけではだめだ。サッカーにすごく詳しい奴が実際にサッカーをやることはからっきしダメなのと一緒だ。

これの厄介な所は本人では何が具体的に足りないのか今市良く分からなかったりするところだ。

三者(女性が望ましい)に指導を乞うのも得策かも知れない。

また、こういう努力をやっていけばいいですよというのは巷に腐るほど溢れているが、事はそう単純ではない。また単純に解決する場合もある。

なので結局、「よく分からん」という結論になる。以上。