ストイック太郎の人間真理を研究するブログ

ストイック太郎が自身の生活を通し人間の根源的真理を研究するブログです

禁欲してんのに調子悪いと腹立ってくる

低レベルな記事を載せて申し訳ないがここには自分の本音を記録として残すために書かせていただく。

掲題の件に共感する方も多いのではないだろうか。禁欲というのは辛い修行である。

いわば三大欲求の一つを献上する代わりにエネルギーを得るというバーターだ。

それなのに元気がどうしても出ない日や頭がボーっとなる日がある。自分の場合停滞期というより、短いスパンで定期的に何回かくる。

もちろん人間には波があるので、調子が今市でない日もある。失敗だってする。

それは理解した上でも、やっぱり長期なんかでやってると「なんで禁欲してんのに調子悪いのよ」「こんだけやってんだからもうちょっと何かサプライズあっていいでしょうよ」という気持ちに正直なる。

考察出来てるんだから自分の過去記事読んで冷静になれよ、といった感じなのだが

人間は最後まで子供の部分がある。

学生や忙しい社会人で禁欲を頑張っている方もこんな気持ちになる人は多いのではないだろうか。

「なんで俺禁欲してんのに、欲まみれのあいつの方が女にモテるんだ」

「なんで禁欲頑張ってるのに、あいつはいつも元気で仕事も出来るんだ」

思い返せば人生はこれの連続なのかも知れない。上を見ればきりがない。

自分は嫉妬とかはあまりしない性格なのだが、やっぱり飛び抜けた才能の持ち主に対しては素直にすごいなと思うし、なんでだ?という気持ちにはなる。

そういう時でも謙虚に続けられる人が本当の才能の持ち主だと将棋の羽生さんやサッカーの本田も言及していた。

俺はとてもそういった偉人には現状なれそうにない。

 

「中庸」を手に入れるためには一度やり過ぎを経験する必要がある

・中庸(ちゅうよう)

 かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「中庸を得た意見」「中庸な(の)精神

 アリストテレス倫理学で、徳の中心になる概念過大過小両極端悪徳とし、徳は正し中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。

 

中庸がいいという話しには同意する。なんでもやり過ぎると変になっていく人を色々見てきたからだ。自分も興味のあるものを見つけると狂信的に取り組んでしまうのでその1人かも知れない。

・筋トレをやり過ぎてインスタに自分の肉体ばかりアップし、筋肉の事しか考えられなくなってる人

・美容をやり過ぎて綺麗だけど自己中心的になり変な方向にいってしまっている女性

・禁欲をやり過ぎて禁欲の事しか考えられなくなり、宗教家みたいになってきてしまっている人

難しい話しだが一種の執着みたいなものだろう。良い習慣だと思い込んで過度に執着してしまう。自分も三番目の人の領域に片足を突っ込んでいるという認識がある。

ただここで自分独自の考えを作り、中庸を手にいれるためには一度やり過ぎた経験が必要だと思うのである。

「こりゃいくらなんでもやり過ぎだ、少し自重しよう」

こうなる訳だ。

ただ中庸といってもポルノやタバコ、酒などはほどほどに嗜むのが非常に難しいものだと思う。中毒性が高いのだ。心身の健康を脅かすデータも多くあるのでこれらに関しては害悪というラべリングをしてもいいのではないかと個人的に思う。

 

ある程度の期間我慢した経験があるとまた再開してしまっても、自分を沼から救い上げる気持ちが出る。これが何より大事だ。

その時に大事なのが「やってしまった」とか「失敗」みたいな悲観的な事として捉えない事である。無駄な経験というのは存在しない。

こうやって蛇行しながらも道の真ん中を歩いて物事を進めていく、これが中庸のあり方なのかも知れない。

マインドが男としての核を創る

どこかで聞いたようなテーマだが男にとって永遠のテーマであるため筆を取らせてもらう。仕事や人間関係が思い通りにいかない人は何が決定的に弱いかと言われれば「マインド」と言わざる負えない。

逆にマインドさえ固まっていれば、時間と共に成功に近づくことになる。マインドが弱ければ問題の周りを永遠とうろうろすることになる。

マインドが弱いと、どこに影響を及ぼすかというと「動作」や「表情」、「目の動き」に顕著に現れる。マインドの弱い男はオドオドして頼りなく、そして常に相手に何かを求め、動作も力がなく弱々しい。

自分も疲れていたり、気持ちに力が入らない日は多分こんな動きをしているも知れない。相手に与えるエネルギーがないのだ。「自分の商品価値が落ちている状態」と言える。

自分の周囲にいるモテない人を観察すると、まず言っちゃ悪いが動きが怪しい、相手に近づいていくときクネクネして気持ちが悪い。すぐ焦る。距離感やタイミングを読めない。うまく言葉に出来ない負のオーラを醸し出している時がある。

(意外にも若くて容姿がそこまで悪くない人に多い。)

やはり、このマインドを鍛えていく方法は禁欲を土台とした筋トレや運動をして心身に負荷をかける。またお互いを高め合える友達と遊んだり、瞑想したり自然のある所にいってリラックスしたりすることなのだろう。

そして新しい人間関係を作る場所に飛び込んでいって、身銭を切り大量の失敗をして傷ついていくこと。ここまでがセットなのだ。

なんてつまらないし夢がないんだ。書いててテンションが落ちてきたわい...。

「パトラッシュ、僕はもう疲れたよ....」 。魔法の杖はよ。

解脱したらどうなんの

備忘録として書いておくが、欲があるから人間頑張れるわけで解脱してなんにも

欲する者がなくなったら至福というよりこの世に何の未練もなくなって、もう人間界と決別する準備に入るんじゃねと思った。

次のステージがあるのかも知れないが、一般人で今の次元に生きている自分にはそれを認識することが出来ない。

ヨーガ行者とか見てるととても幸福な人間の姿に見えんのですけれども。

ここでも中庸とう言葉がキーワードになってどこかでやり過ぎというのは、本流からかけ離れてしまうのではないだろうか。

超人って何も執着しない人のことなの?それとも人間としての基礎能力が数段底上げされてビジネスでも人間関係でも大きく恵まれる人のことなの?

自分は後者でありたい。

 

記録をつけろ。同じ言葉を塗り直せ

f:id:stoictarou:20210402150617p:plain


140日経過。

またジムで胸と肩トレと有酸素をやってきた。運動は非常に良い。気分があがる。

ただそれとは別にふとした時に薄らと辛いなと感じる時は相変わらず続いております。はい。仕事は絶好調なんですが。

数年前に女性との正攻法での交わりのみ可とする禁欲を半年位続けていた時も、こんな感じだった。女性と会っている時は嬉しいけどそれ以外の欲求不満の日が結構空くし、ぼんやりと辛いみたいな感じである。

地味で単純だけど基本である「記録をつける」という事は忘れずに行う必要がある。

習慣が続かない人は日記やPC、またスマホでもいいので記録をつけるといい。自分はこれがなかったら絶対ここまで来れてなかった。記録が何かを諦めてしまう時のストッパーだったり、また復活する時の支えになってくれる。

後、禁欲を続けていくと基本に帰れだとか、継続は力なりみたいなどこかで聞いたことがあるような同じ事ばっかり言うことになるが、要はポジティブな言葉を何回も自分に浴びせる必要があるということだな。人間すぐ忘れるしね。また、辛い時は辛いな...とか言葉に出すのもいいと思う。自分の正直な気持ちだからね。辛いもんは辛い、当たり前だ。この苦悩している時間が人間を高めているんだろう。

もしかしたらこの「苦悩するために」人は修行するのかも知れないね、「意図的苦悩」とはよくいったものだ。

 

巷に名言や素晴らしい文章は溢れている。「よし、理解した。こんな素晴らしいことならやるしかない」と思っていても数日たちまた数か月もたつと段々と気持ちがなくなってしまう。

気持ちというのは不思議なもので、どういう訳かある日無くなったり変わっていく。

この活動も目新しさもなくそろそろ色んな意味でネタが尽きてきた感があるので、どっかでお休みするかもですね。どこまでやれるかはもうよく分からんです。

ただ、それまで自分の気持ちに正直に思ったことなど、記録だけはしっかり残していきたいと思う所存であります

 

筋トレ最高

久々にジムで筋トレをした。部屋で軽くはやってたんだけど今日はなんとなくジムでしっかりやりたい気分になり、デッドリフトとラットプルダウンをかましてきた。

超すっきり。筋トレはやっぱり最高だ。久しぶりにやるといい。

しかも終わった後、視界が開ける感覚と深呼吸したら下半身から性エネルギーが昇華される感覚があった。この感覚は自分独特の感覚かも知れないが神社やお寺などにいったときに何かに引き付けられる感覚と一緒である。これは気のせいではなく確かに感じるものだ。不思議である。他の方のブログで神社や仏閣は性エネルギー昇華を三次元的に体験するための場所だと書かれていたので、正しいのかも知れない。

今年の初めから不思議とジムに行かなくなり、瞑想とかを中心に頑張っていたんだけど

また筋トレをやっていこうと思う。もう他人がどうこうは関係ない、自分の感覚が全てだ。

自分の今の能力を数値化してほしい

能力というか目的に対して、足りない部分を数値みたいたもので教えて欲しいよね。

数値化すれば何が足りてなくて何やればいいか分かるからさ。

それじゃ人間じゃないか。

以前考えた事でもあるが精力的な男として活動できる時間も有限な訳だから、

自分が前進しているかどうか分からない時間がたまに無為に過ごしている感覚になる。

単純に面白くねえ。

禁欲中期に現れる善人思考もそろそろ飽きてきた。いつの時代も正直者は馬鹿を見る。

正直者っていうか一種の思考停止の事を指すんだろうな。自分の頭使いなさいよ的な。

俺は飽きっぽい。新鮮さとか刺激みたいなのは人生を楽しむための重要な要素だ。

そっちから現れなければ捻りだしたくなる。おっいいワードが出た。

「捻りだす」ここになんか鍵がありそうですね。

 

禁欲者の目つき

全禁欲者が自分自身の目つきの変化に関しては共通で実感しているだろう。

禁欲者で有名なヒトラーもそうだ。写真で見るとものすごい目つきをしている。

また三島由紀夫と東大全共闘で登壇した芥正彦氏は三島氏の目を後にこう語っている。「目の向こうにアンドロメダが見えるようだった」と。三島由紀夫が禁欲者であるかどうかは知らないがあの時代においては驚異的な頭脳の持ち主であり、度々三島氏の思想は現代においても注目を浴びている。三島氏もまたヒトラーに興味を持っていた。どういう形かは知らないが三島氏はある特異な能力を持っていて、未来の日本が見えてしまって失望してしまったんだろうと思う。

話しは逸れたが、この目の変化はなんなのだろうか。人外の者への変化みたいな感じなのだろうか。

 

ある夜渋谷のクラブでとっぽいリーマンが自分の肩にぶつかってきた、仕事でストレスもたまっているのだろう。反社的ではなく、仕事も普段真面目にしているだろう少しエリート風のリーマンだ。少し酔って気が大きくなっているのかリーマンがこっちを睨みつけてきたので、こっちも相手の右目を貫くような視線で睨み返してやった。この時どんな表情を自分がしていたかは分からない。しかし、自分がこんなに相手の目を敵意を持って見た感覚は印象になかった。その後リーマンはすぐ目をそらし、小鹿のように萎縮して背中を丸め彼はクラブから出て行ってしまった。彼は何かに怯えているように見えた。自分はトラブルが嫌いなので変にめんどくさい事にならずに安堵しただけだったのだが。

人は人外のものを見た時、「得体の知れない何か」と出会った恐怖を感じるだろう。

みなさんご存じの「寄生獣」という漫画で主人公が段々パラサイトに体を浸食され、気の小さい青年から野獣のような人間ばなれした人物に変化し、絡んできた少年達を睨みつけ目だけで怯えさせてしまう場面がある。感覚的にあれに似た感じだったかも知れない。

ヒットする漫画には何か人間の根源的真理が隠されているものがあるような気がしている。それで多くの人は無意識に何かを感じ取り惹かれてしまうのではないか。

よくオナ猿とか長期変化をスーパーサイヤ人とか言うけどなかなか言い得て妙だと思う(笑)。

エキシオエハリーを保持しパートクドルク義務で自己を完成させるよう努めれば段々人から進化しスーパーサイヤ人(超人)になれる。しかし聖なる物質を浪費すれば退化して猿になる。単純だけどこんな感じだろうか。

 

今日はものすごく若い女性の身体が欲しくなり、この活動をしばし休止しようかという思考になっていたのだが、この活動にはまだまだ人間の秘密が隠されていそうだ。