・中庸(ちゅうよう)
1 かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「中庸を得た意見」「中庸な(の)精神」
2 アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。
中庸がいいという話しには同意する。なんでもやり過ぎると変になっていく人を色々見てきたからだ。自分も興味のあるものを見つけると狂信的に取り組んでしまうのでその1人かも知れない。
・筋トレをやり過ぎてインスタに自分の肉体ばかりアップし、筋肉の事しか考えられなくなってる人
・美容をやり過ぎて綺麗だけど自己中心的になり変な方向にいってしまっている女性
・禁欲をやり過ぎて禁欲の事しか考えられなくなり、宗教家みたいになってきてしまっている人
難しい話しだが一種の執着みたいなものだろう。良い習慣だと思い込んで過度に執着してしまう。自分も三番目の人の領域に片足を突っ込んでいるという認識がある。
ただここで自分独自の考えを作り、中庸を手にいれるためには一度やり過ぎた経験が必要だと思うのである。
「こりゃいくらなんでもやり過ぎだ、少し自重しよう」
こうなる訳だ。
ただ中庸といってもポルノやタバコ、酒などはほどほどに嗜むのが非常に難しいものだと思う。中毒性が高いのだ。心身の健康を脅かすデータも多くあるのでこれらに関しては害悪というラべリングをしてもいいのではないかと個人的に思う。
ある程度の期間我慢した経験があるとまた再開してしまっても、自分を沼から救い上げる気持ちが出る。これが何より大事だ。
その時に大事なのが「やってしまった」とか「失敗」みたいな悲観的な事として捉えない事である。無駄な経験というのは存在しない。
こうやって蛇行しながらも道の真ん中を歩いて物事を進めていく、これが中庸のあり方なのかも知れない。