思い返すと筆者は禁欲を取り組む上で一番難関だったのは食事かも知れない。自慰行為禁止も性的コンテンツ禁止も割とすんなりできたが、食の摂生は中々できなかった。現代ではお金さえあれば美味しい食事に簡単にありつける。筆者は都心に住んでいるので街に出ればお店も充実している。しかも今はウーバーなどデリバリーシステムも整い、端末からワンクリックで食事が家にすっ飛んでくる。豊かで便利な時代だ。ただ、これには大いなる罠が潜んでいるような気もする。原始時代は狩りに出て死にもの狂いで獲物を捕らえていたはずだ。利便性と引替に失っているものがあるはずだ。時間があるときにこの辺は分析してみたい。
話しが少し脱線したが、筋トレを死にもの狂いでやっていた時は増量という免罪符のもと、好きなものを食べていた。ジャンクは敬遠していたものの味の濃い物や好きな店屋物たくさん食べていた。「文明が滅亡する時には必ず性と食が乱れたという」という言葉の通り、食事が荒れると性が荒れるのは実感があったので間違いないような気がする。獣肉などを過剰に食べれば性欲も野獣のように高まってくる。性と食というのは神から与えられし神聖なものというような考えが大事なのかもしれない。神聖なものなので可能な限り慎まなくてはならない。そんなことしたら、何を楽しみに生きるんだ?という考えの人もいるだろう。しかし結局真実の道というのは極めてシンプルなものだと思う。またシンプルだからこそそれを実践できる強く冷静な心、言い方を変えれば霊性の高い魂を作り上げるのが難しくまた長い時間を要するのだろう。食事に注意を払ってから性は落ち着きを得ているようだ。