この界隈である程度習慣が定着し、それが日常にほぼ組み込まれた人は掲題のような感覚を理解できる人は多いのではないだろうか。そう、ほとんどの人は「家畜」である。性の奴隷、食の奴隷、携帯やスマホゲーの奴隷、会社における上司の奴隷。四番目は生活する上で仕方のないことだし筆者も大きな何かしらの権力の奴隷であることは認識している。ただ、なるべく低次のものの奴隷である事は避けたいものだ。奴隷の檻は何重にもなっておりそれを一つ一つ脱獄することによりまた一段人間として上の景色が見えるようになっているような気がする。釈迦は次のようにいった「欲をどれだけ自制できているかが本物と偽物を見極める基準だ」と。
大人になれば人は勝手に成長していくものだと幼少期は思っていた。しかし実際はどうだろう。外面だけは大人で中身は子供というか動物と同じような人間ばかりだ。そう、世の中はほとんど奴隷で構成されているのである。色々な欲を超越し、欲求の階段を上っていくと上から下界を見下ろすことが可能となる。そうやって使う側にどんどん自分を追いやっていくように努力していかねばならない。もちろん休んだっていい。ただメインはその「仕事」をやっていることが大事だ。そうやって自分の魂のレベルを上げていかねばとても現在の混沌としたこの世界を生き残ることはできないであろう。