自分自身最近の禁欲自体への最終結論は「余計なエネルギー流出を防いで生産的な事に使う」であり、結局溜めたエネルギーをどこで使うのか?という感じで考えていました。しかしながら、人間というのは不思議な生き物でセクシャリティの節制が睡眠や食事などのエネルギー補充と同質のものかというと少し違うようで、人間の内部に各々に対して別々の貯蔵庫があるような気がしているのです。あくまで感覚ですが。
つまり、睡眠をたっぷりとり食事に気を遣ってても性の扱いが本質から外れているとある種の自分の可能性を引き出すような霊性的なパワーが出ないような感覚があるのです。それが何かは目に見えないので分かりませんし、ただの自分の思い込みの可能性もあります。ですのでこの行はなんというかクリーンな芽が生える可能性のある土壌を育てる行為とでもいいましょうか、最近はそんな感じです。